こんにちは!
ホワイトハウスに慰安婦碑撤去を
先日東海の署名をされた方は、『Si
サイトはこちら→ http://wh.gov/yrR
【私が見た従軍慰安婦の正体-小野田寛郎】http://tinyurl.com/75k8dey
【従軍慰安婦の真実】http://bit.ly/mSRJqI
【従軍慰安婦は性奴隷ではなく、自らの意思で志願した売
皆さま、よろしくお願い致します!m(_ _)m
こんにちは!
ホワイトハウスに慰安婦碑撤去を
先日東海の署名をされた方は、『Si
サイトはこちら→ http://wh.gov/yrR
【私が見た従軍慰安婦の正体-小野田寛郎】http://tinyurl.com/75k8dey
【従軍慰安婦の真実】http://bit.ly/mSRJqI
【従軍慰安婦は性奴隷ではなく、自らの意思で志願した売
皆さま、よろしくお願い致します!m(_ _)m
洗濯物を干しながら、ぼーっと、
『震災の時に随分、日本人は礼儀正しいって賞賛されたなぁ』
と、今まで読んだ日本人賞賛の記事や見た動画を思い出していました。
例えば、テキサス親父のこの動画など↓
http://www.youtube.com/watch?v=mBhgHvhI6Sg
『日本はダメだ』
『日本は遅れてる』
『中韓をお手本に!』
『世界をお手本に!』
などとマスコミが煽り立てるけれども、
世界が絶賛した国民がいる国が、
なんで他国をお手本にしないといけないのか、
私にはよくわかりません。
こうやって海外で暮らしていると、
『この国も、こういうところを日本から学んだらいいのにな』
などと思うことが、本当に山のようにあります。
もし日本人が他国から学ばないといけないことがあるのだとしたら、
『世界は日本のように、性善説でなりたっている訳じゃない』
ということを一番に持ってきたいくらいです。
『グローバル』や『多文化共生』は、
日本人の生活をレベルダウンさせるだけです。
世界が今の日本人を賞賛するということは、
まだ世界がそのレベルじゃないということだからです。
こういう言葉には騙されちゃいけません。
・・・ということを、洗濯物を干しながら考えておりましたw
今日は陸上自衛隊広報センター・りっくんランドへ行ってきました。
横浜から東武東上線の和光市駅までー? 遠い~~!!
・・・なーんて思ってたんだけど、湘南新宿ライナーに乗ったら、
思ったほど時間もかからずに到着しました。
こんな戦車とか

巨大なヘリとか

イラク・サマーワで活躍してた装甲車(だよね?)とか

写真は撮らなかったけど、他にも展示品がたくさんあるし、
シュミレーターや、陸上自衛隊の日々の訓練の3Dビデオ、
実際に着用できるヘルメットや制服、防弾チョッキなんかもあって、
なかなか楽しかったですよ。
子供たちは、自衛隊のお兄ちゃんに軽々と肩車や抱っこされて、
とても楽しかったみたいで、『帰るよ~』と声を掛けたら、
『いやだぁ~~~!!』って大ブーイングでした。
それはそーと、りっくんランドには、
知る人ぞ知るお土産屋さんがあると聞いていたので、
ワクワクしながらお買い物してきました。
うちの息子が選んだのはこれ。

娘たちが選んだのは、陸自の戦車や航空機の金太郎飴。
よく見ると、ちゃんと日の丸入り!

噂に聞いてた、自衛隊カップラーメン。
ふと見たら、焼きそばまであったので、うっかりGET w

ネーミングセンスに脱帽し、買わずにはいられなかったお菓子。

シンジローが自衛隊の皆さんにメッセージを送っていたので、
写真を撮ってきました。イケメンだぜ!

皆さんも機会があったらぜひ足を運んでみてくださいね。
全国の各都道府県に護国神社があると思っていましたが、
実は神奈川県にはないということをご存知でしたか?
詳しくはこちらから↓
【幻の神奈川県護国神社を尋ねる】http://
今日、お参りに行ってきました。

記事にもあるように、おそらく荒れ放題なんだろうな…と想像してはいたけれど、
雑草は生え放題、くもの巣もいたるところにある上に、
ホームレスが安置堂のところで寝ている始末・・・。
安置堂の前にお花とお茶、それからカップ酒をお供えして去ろうとしたら、
そのホームレスが早速取ろうとしてたので、
注意をして、不本意ながら他の場所にお供えして来ました・・・はぅ。
神奈川県護国神社をなんとか建立できればいいのだけれど、
それが難しいのであれば、せめてきちんと整備や清掃をして欲しいなと思います。
横浜市の、先の戦争に対するスタンスが問われるところですね。
あぁ・・・それにしてもショックだったなぁ。
私の子どもたちが通う日本語学校から、
『被災地の赤ちゃんへミルクを送ろう!』
というメールが届きました。
賛同される方がいらっしゃいましたら、ぜひご署名お願いいたします。
以下、メールの転載です(署名サイトは英語です)。
---------
震災以来、アメリカでも様々な支援運動、募金活動が起きています。
今、私が起こしている運動は、日本の赤ちゃんに液体ミルクを送ることです。被
災地の多くのママ達がショックなどで母乳が止まったり、 水の問題で粉ミルク
を作りにくいと聞いています。また、粉ミルクを作っても哺乳瓶を洗ったりする
のが難しく、衛生面も厳しいとのこと です。
今、きっと被災地でも赤ちゃんが生まれているのだと思います。こんな困難な状
況で母乳が出ないことなんてざらだと思います。母乳が出 なくて泣く思いをし
た私はその苦労が手に取るようにわかるのです。おっぱいって、出ないと思って
落ち込むと余計に出なくなるものなの です。ママ達の体は本当に彼女達の精神
状態、ホルモンが密につながっているのです。
日本では法律で禁止されていますが、アメリカでは、既に出来上がったミルクが
一回のミルクの量でボトルになった液体ミルクと言って、 これに飲み口をつけ
るだけで簡単に赤ちゃんにあげられるとても便利なものがあります。フィンラン
ドの日本人のお母さんがツィッターで これを日本に送れないものだろうかとつ
ぶやいたところ、なんとフィンランドのミルク会社とフィンランド航空の協賛と
小池百合子議員の 協力を得て、2000個のミルクが日本に届けられたのです。ア
メリカにはとっても大きな二つの会社がこの液体ミルクを作っているのに もか
かわらず、とある日本人ママがメールをしてみたところ、義援金を贈ることで支
援するからとやんわり断られてしまったそうです。で も、あきらめたくないです!
Facebookを通じて、ネットから請願書を送るサイトを見つけました。
今5000人のサインが必要となっています!ぜひ日本の皆さんにも協力してほしい
頂きたいのです。
ネットからのサインアップは、たったの2分で終わります。
もしご賛同いただけるのであれば、ご協力をお願いします。
そして、ご家族、お友達にも広めてください!
どうぞよろしくお願いします。
そして、どうもありがとう。一緒に日本のために頑張りましょう!
リンク先
http://www.thepetitionsite.com/2/Feed-hungry-Japanese-Babies/
先日ご紹介した日記を書かれたマイミクさんが、またとてもいい日記を書かれました。転載許可をいただきましたので、皆さんにご紹介します。
-------------
(引用ここから)
私の夫も、こどもの頃から「日本に原爆が落ちたおかげで、その後に失われたかもしれない多くの命が助かった(戦争がそれ以上長引かずにすんだ)」という教育を受けてきました。なので、日本にいた頃、TVで終戦特集が組まれる時期になるとよく二人で激論を交わしたものです。結局お互いにわかり合えぬまま、いつの間にかこの話題は我が家ではタブーとなってしまいました。
それが2008年。 あ の NHKである番組が放送され、無理やり夫と一緒に見てからというもの、彼の中で何かが変わったようです。番組を見終わった後、かなりふさぎこんだ様子でした。そのときの番組の様子を伝えているブログがこれ。
http://
以下がその抜粋。
=================

この写真の青年が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)。
NHKの番組案内には、次のように記されている。
去年8月9日、亡くなった。占領軍として原爆投下後の長崎に入り、その破壊力を
記録するため写真を撮影する一方で、軍に隠れ内密に自分のカメラでおよそ30 枚の
写真を記録した。帰国後、被爆者の記憶に悩まされ、悲劇を忘れ去ろうと全てのネガを
自宅屋根裏部屋のトランクの中に閉じこめ、43年間封印してしまう。しかし晩年になって
原爆の悲劇を訴え母国アメリカの告発に踏み切っていく。原爆投下を信じる周囲から
非難の声を浴びながら、85歳の生涯を閉じた。
なぜオダネルは、軍の規則に違反して写真を撮影したのか。
なぜその写真を長年隠し、晩年になってトランクを開け母国を告発したのか。
その足跡を追う息子が、遺品の中に残された録音テープを発見した。そこには写真に秘められた過去と、真実を伝えざるを得なかったオダネルの思いが告白されていた。
彼の撮った写真の中で、注目されている一枚がある。

「焼き場に立つ少年」 1945年 長崎 撮影 ジョー・オダネル
この写真へのインタビューで、朝日新聞の記者に次のように話しています。
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
(インタビュー・上田勢子)
他にも写真があります。http://
ジョー・オダネルは任務を終えて帰国後、写真をトランクに入れて封印します。
幸せな家庭を持ちました。
そして、忘れることにつとめました。
しかし、ある教会のキリスト像を見て、目覚めます。
打ちひしがれた姿を表したキリスト像の体中に、被爆者の写真が貼り付けられていたのです。
ジョー・オダネルは、それを見てショックを受けます。
その時からトランクを開けて、行動が始まったのです。
講演会を開いたり、本の出版も試みたりします。
しかし、彼の活動に対して、アメリカ社会の視線は厳しかったのでした。
たくさんの非難の投書があり、妻からも理解されず離婚され、孤立無援になります。
そして、爆心地に行ったこともあって、体中にガンができます。
それでも、めげずに活動されます。
そんな中、ジョー・オダネルの娘が一通だけ味方してくれている投書があることを伝えます。
「原爆が正しいと言っている人々は、
と、書かれていました。
それはなんと、当時23歳だった、ジョー・オダネルの息子タイグさんが書いたものだったのです。
~(略)~
ジョー・オダネルは、去年(2007年)に亡くなりました。
今、意志を引き継いで行動しているのは、息子のタイグさんです。
テレビでは、長崎を訪れ、父の軌跡を追いかける場面もありました。
ジョー・オダネルの反戦・反核の運動は、途切れることなく続いています。
タイグさんのブログは、ココ!
http://
(引用終わり)
=====================
私もこの番組で、初めてジョー・オドネル氏のことを知り、そしてこの長崎の少年の写真を見て、衝撃で言葉を失いました。
広島・長崎の原爆は、戦後66年経った今もなお、被害に遭った方々を苦しめていますし、他にも数多くの日本の都市が空襲に遭い、多くの非戦闘員の、私たちのような普通の日本人が無残な死を遂げました。
ホロコーストとどこが違うのでしょうか。
サイパンでの玉砕戦を戦い抜いた、大場栄大尉の物語、映画『太平洋の奇跡』が現在公開中ですね。私も海の向こうで『早く観たいなぁ』とDVD販売を心待ちにしています。
私のマイミクさんが、サイパン戦・アメリカ軍についてとても素晴らしい日記を書かれました。
転載の許可を頂いたので、皆さんにもご紹介します。
--------------------
(転載はじめ)
「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください。」
この言葉は、抵抗する日本軍に対して米軍が使った言葉として有名です。
しかし、実際にこの言葉の後に米軍が行ったことは、とても「人道的」とは
言えるものではありませんでした。以下にその詳細が書いてあります。
マイミクさんの日記から転載です。
http://
==================
日本人なのに、日本人らしくないなと感じること
http://
日本の歴史を知らない事でしょうか。
先日から映画『太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男』を観る勇気が無いと日記に何度か書いてきました。
---------
原作者の思いがねじ曲げられませんように。
http://
上記日記で書きましたが、ねじ曲げられていなかったら見に行こう。
竹野内のファンなので、もしもねじ曲げられていたら、竹野内のせいじゃないのに、竹野内が嫌いになってしまいそうで…。だからどなたか、見てきてら教えてくれませんか?
----------
マイミクさんも観てきて下さったようで色々な感想を頂きました。
『宣伝は見てなかったのですが、「何かやたらに日本文化をきっちり理解している、教養あるアメリカ人が出てきて、その人のお陰で最後は日本人が玉砕という過ちに気づいて、僅かな人数でも助かる」、というストーリーでした。
歴史を知らない私のような日本人は「天皇陛下万歳!とだけ信じて死んだバカな日本人を、教養ある、人道主義に溢れたアメリカ人が目覚めさせて、救った!」
そして
『やはり、なにも知らされていない、現代を謳歌している若い日本の人々に観て欲しい。
たとえそれが真実ではない部分が多いにしろ、クエスチョンの部分はそれとして、現代を生きる若者に、ほんの少しでも、歴史の事実に興味を持ってもらいうきっかけとして、映画を観て貰いたいと。』
と結ばれました。
友達から電話を貰いました。
「映画観てきましたよ!う~ん、歴史を知らない人が見たら勘違いするかな。でも竹野内は凄く良かったですよ。戦争映画に出ると二通りあって、真実の歴史をしっかり受け止めて日本をもう一度見直して誇りを持つ人と、歪曲された歴史映画通りの『日本は悪い国だった』と思いこむ人。竹野内さんはニュース ZEROでしっかりした事を言っていたから、前者だと思いますよ」
マイミクさんのお友達が言ったという言葉。
『一緒に見に行った子は
「早く投降すればいいのに、なんでしないのかわからない。」
って言ってました。』
原作も読んでいないし映画もまだ観ていない状況ですが、このお友達の言葉が全てを物語っているのかなと。
私が不安に感じていた事は、まさにそこのところで、捕虜として投降しなかった理由、そして「バンザイクリフ」が起こったのかの描き方でした。
実態はどうだったのか、資料は数々あります。
サイパン島での闘いで生き残こり大場大尉と共に戦後までゲリラとしてサイパンで戦い抜いた田中徳祐さんの著作です。帰国後、本書を執筆するも、GHQの検閲ですぐには出版出来なかった。雑誌「正論」などでも引用され、資料として貴重な本だが、現在、絶版になっており、再版が待たれています。
以下
我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実 田中 徳祐著 立風書房
昭和19年6月15日午前8時45分、チランカノアの海岸に、約三個師団と推測される敵兵が上陸してきた。そこからサイパン島の陸上戦が始まった。当時はサイパン島には砂糖工場があり日本人も居住していた、民間人がいたことでかなり悲惨な結果になってしまった。
7月9日、このころには日本軍の組織的な抵抗は無くなり掃討戦の様相をあらわしてきた。敵は流ちょうな日本語でジャングル地帯に童謡を流し投降を促す放送を流し始めた。日本軍は組織的な抵抗は捨て、洞窟に、数人、あるいは数十人ぐらいが生き残り潜んでいた。
米軍は日本人に対し、戦争が終わりサイパン島は米軍の手に落ちたこと、隠れている日本人に投降を勧めました。「投降すれば、立派な衣服や、美味しい食料も十分に与えます。もはや犬死にすることはない、今や死んでも花実は咲きません。みなさんの投降をまっています」
その後に、兎追いしかの山、と続く童謡を流し始めました。これには潜んでいた日本軍も参ってしまつた、その後、桃太郎、天然の美、荒城の月などがながされたそうです。
「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」
投降を勧める放送は再三繰り返されたが日本軍は、その放送を頭から否定した。むしろ敵愾心がわいてきたそうです。



--------------
連合国軍の捕虜虐殺については有名なリンドバーグの日記にも書かれています。下記の「 」内の引用文はリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、私の手元にある「日本の反論」(米田健三著 並木書房 平成十六年刊)よりの引用ですので文章は米田氏が要約・抜粋したものです。
これについて米田氏は第二次大戦に対してアメリカ参戦を反対していたリンドバークは昭和一九年になって南太平洋の戦場視察と慰問を許される。そこで、「アメリカ人が文明人であることを主張せねばならぬ理由がなくなる」ような、米軍兵士の日本兵捕虜に対する数々の蛮行を見聞することとなったと書かれています。
「日本兵士殺害に関する将軍の話----実戦参加経験がないまま帰国する軍曹が、せめて一人だけでも日本兵を殺したいと不平を漏らした。
偵察隊に捕らえられた一人の日本兵捕虜が軍曹の前に引き立てられた。軍曹は言った。
『俺にはこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ』
『ちぇっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ』
偵察隊の一人がそういうと、日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めたとたんに、日本兵の頭部に腕が巻つき、喉元が一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた。
このやり方全体は、話をしてくれた将軍の全面的な是認を受けていた」
(リンドバーグ日記六月二一日)
「小屋の壁のひとつに、絹地の日本の国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品として一〇ポンド(三三ドル)の値打ちがあると、ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は二五〇ポンドなら譲ってもよいといった」
(リンドバーグ日記六月二一日)
「将校の話によれば、穴の中の遺体をブルドーザーにかける前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む小袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに、耳や鼻を切り落とされている日本兵の遺体を幾つも見たとも言った。『兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので、首を取りあげねばなりませんでした』。行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ」
(同九月九日)
先日、下記のような記事がありました。
<硫黄島で51人の遺骨収集=政府チーム―旧日本兵、集団埋葬の可能性
時事通信2010年10月22日(金)19時56分配信
硫黄島で戦死した旧日本兵の遺骨収集を進める政府の特命チーム(リーダー・阿久津幸彦内閣府政務官)は22日、首相官邸で第3回会合を開き、51人分の遺骨を島内2カ所で発見したことを報告した。計2200人が集団で埋葬されている可能性があるという。
同チームの調査団は7日から同島を訪れ、旧日本兵が集団で埋葬されているとみられる2カ所で遺骨の収集に当たった。>
二千二百人が集団で埋葬とはどういうことか。
これは、米軍が我が軍兵士の遺体をどのような扱いをしたかを考えれば、自ずと答えは導き出されます。
リンドバーグは下記のように日記に残しています。
「われわれがもし日本兵の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、さらった土をかぶせてやったりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標も樹てずに、こう言うのである。『これが黄色い奴らを始末するたった一つの手さ』と」(七月二一日)
「山道の片側にある爆弾でできた穴の縁を通り過ぎる。穴の中には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾でできた穴に投げ込んだうえ、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸糞が悪くなる」(七月二四日)
ブルドーザーで遺体を片付け、その上に残飯、廃物を放り込む。
そのような箇所が何カ所もあったのです。
決して、整然並べ、遺体を処理したわけではない。
そして、捕虜に関して下記のような記述もある。
「ニューギニアの密林を越えて、ホーランディア飛行場周辺に日本空軍の残骸が散乱していた。着陸後、将校連と会議。談たまたま日本兵捕虜の数が少ないという点に及ぶ。
『捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる』
と将校の一人が答えた。
『ところがわが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ』
『(原文伏字)では二〇〇〇人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった一〇〇人か二〇〇人だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう』
『あるいは両手を挙げて出てきたのに撃ち殺されたのではね』
と、別の将校が調子を合わせる」
ホーランディア攻略戦で敗れて捕虜となった日本軍人の大多数は、機関銃の乱射で殺されたのである。
「我が軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが大平洋における戦争をこの目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う」(七月一三日)
「安全でかなり贅沢な将校クラブに座しながら、これらの日本軍を『黄色い奴ばら』と表現するアメリカ軍将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、惨たらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた覚えはまったく無い」(七月二一日)
「私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼け爛れた地域の地表下に極限の苦悶隠されているのだ
飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかだから」(七月二一日)
(以上は先に書きましたようにリンドバーグ日記よりの直接の引用では無く、「日本の反論」米田健三著 p百六十一~百六十五よりの引用)
そして、米田氏はこうも書かれています。
<第二次大戦におけるソ連軍の蛮行は周知の事実だが、米軍については極めて人道的であったがごときイメージが長い間流布されてきた。記録映画などに登場する日本占領前後の米軍将校のほとんどが、降伏した日本軍兵士や民間人に食糧を支給し、医療を施す善良な姿で映っている。だから、「鬼畜米英という教育はまちがいだった。玉砕は犬死にだった。文明国の軍隊はあんなにも寛大だったのだ」という論理がまかり通ってきた。しかし、前線の諸記録に垣間見られるのは、むしろ日本人が軍民を問わず玉砕を選ばざるをえなかった米軍の残虐さである>(同書p百六十一~百六十二)
「敗北を抱きしめて」などの著書で有名なジョン・ダワーもその著書「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」(平凡社ライブラリー)に書いています。
「大平洋地域担当の従軍記者エドガー・ジョーンズが、四六年の『アトランティック・マンスリー』誌に書いている『われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機関銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、または他の骨でペーパーナイフを作るとかしてきたのだ』。ジョーンズはさらに、標的の日本兵がすぐに死ぬことがないように、火炎放射機の炎を調整するというような行為にまで言及している」
「一九四二年の末に出版されベストセラーとなった『ガダルカナル日記』のなかで、ジャーナリストのリチャード・トレガスキスは、日本軍との戦いを前にして武勇自慢をし合う若い兵士たちの会話を挿入している。『ジャップは金歯をたくさん入れてるんだってな。それをいただいてネックレスでも作るかな』と一人がいう。『おれは奴らの耳を持って帰るよ』ともう一人が宣言する」
「リンドバーグがついに大平洋諸島を離れ、ハワイで税関検査を受けたときには、荷物に骨が入っているかどうか聞かれた。それは決まりきった質問だと言われたという」
沖縄戦でも、南太平洋戦線と同様の米兵による悪行が繰り広げられた。アメリカの作家、ジョージ・ファイファーが、取材開始から出版まで八年の歳月を費やした労作、『天王山 沖縄戦と原子爆弾』(早川書房)で、「アメリカ軍の残虐行為」という項目を設けて明らかにしている。
「野蛮な人間もいた。日本人の歯で作った腕輪は、彼らの歯を抜き取らなくては作れない」
「ある機関銃分隊は急造の小さなパイプを持って歩き回っていたが、それは日本兵の死体の口に彼らの尿を流し込むのに使われた」
以上
「日本の反論」(米田健三著 並木書房 平成十六年刊)(p一六六~一六九)
「特攻パイロットを探せ」平義克己著 扶桑社 平成一六年刊)p二百五十一~二百五十二
以上
http://
より抜粋引用(当時の写真の掲載もありますのでお読み下さい)
もしも、今後この映画を観る機会があるならば
「早く投降すればいいのに、なんでしないのかわからない。」
これらの事実を頭の片隅に置いて観て下さい。
この狂気の戦渦で日本軍と運命を共にした民間人の方々。
1944年(昭和19年)3/12、B29長距離爆撃機の行動範囲にもとづいて、最良の日本本土空襲基地としてマリアナ諸島、特にサイパン攻略が実行されることになりました。
ここが陥落してしまえば、愛する家族を守る事が出来ない。
たとえ最後の1人になろうともと、戦われた先人。
この映画の元となった「タッポーチョ」の原作者の思い。
序文
「本書を、自らの国のために全力を尽くし、報われることのなかった、現代の日本人の父親たちに、祖父たちに、伯父たちに捧げる。」
あとがき
私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
これを書く前に、・・・調べてみました。・・・多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
・・・事実(この本に記した真実を日本人が知れば)によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
・・・そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。それが、私がもっとも強く持っている願いです。
1982年11月 ドン・ジョーンズ 記
先人達の思いが酬われますように。
そして、先人の上に立っているのが私達だという事に思いを馳せ、感謝するばかりです。
沖縄の集団自決騒動で語られない真実
http://
(転載終わり)
-----------------
このような話は以前にも読んだり聞いたりしたことがありましたが、思い出すたびに怒りで心が震え、涙が出てきます。
アブグレイブでの捕虜虐待などを見ても、アメリカはあの戦争当時と変わっていないのだと感じます。
アメリカは戦後65年以上経った今でも、自分達の犯した事実を、自国の子供達への教育や、他国への圧力などで必死に隠そうとしています。
彼らにとって、あの戦争はまだ終わっていません。これから先もずっと、自国の継続的な安定の為に『アメリカは正義、アメリカは人道的』と、世界を欺瞞し続けなければならないのです。
一体彼らにとって、何の為の戦争だったのでしょうか。
私たち日本人ができることは、このような文献などを、できるだけ多くの日本人に読んでいただき、そして日本を守るために犠牲を払ってくださった、私達の先人の名誉挽回の為にできることを小さなことでもしていくことだと思います。